雑文の女王 -沢木まひろ-

目指すはメルマガ界の『天声人語』。「あるあるある!」「おー、いいこと言うじゃん」「うまいっ!」と毎週うなずいていただきます。読みやすく、かつきれいな日本語を大切にする、沢木まひろの週刊コラムです。

沢木まひろ

現代メロンパン考

日々つれづれ思ふ事

読むドラマ

雑文の女王


沢木まひろ自己紹介

あなたもライターになれる

 

雑文の女王

発行履歴

15

それはまた別の話

14

価値観

13

頼れる人

12

アタマも風邪をひく。

11

背番号

10

親心

9

あなたは1人だけ。

8

年の始めに。

7

レッツ・ショッピング

6

得意分野

5

ものを大事に

4

失神したい?

3

それでも花嫁は泣く。

2

脱ぐ女

1

背徳の食卓

0

決めゼリフ

第05回

ものを大事に


『手もちの時間』(青木玉著・講談社文庫)という随筆集を読んだ。青木玉さんは1929年生まれ。名文を書く人だ。華麗なる筆致というのではなく、日常のなにげない出来事を、淡々と生き生きとつづることに長けている。こういうものを読んでしまうと、自分の文章力が情けなくなるのは、何とも困ったことであるが。

見開き2ページの小品、全24編から成る表題作。1発目からもうやられた。『泣くお椀』というお話だ。感動をどうしても伝えたいので、以下あらすじである。

***

長年使い続けてきたお椀が、少し大きいと感じられるようになって(つまり年をとって、食べる量が減ったわけだ)買いかえた。新しいお椀は欅の生地色。木目がしっかりしていて、家族みな気に入って使っていた。

ある日、そのお椀がシューと「泣いた」。よく調べてみると木目を切った跡があり、手当がしてある。疵ものだったのだ。これはお店に行って取り替えてもらわなければと思いつつ、しげしげとお椀をながめ、考えた。これを作った人の事情を考えた。

ちょっとした疵だ、手当をすればどうもないと思ったのか。あるいは仕損じを出す材料の余裕がなかったのか。いずれにしても、このお椀は今自分の目の前にあり、店で取り替えてもらって自分の手を離れたら、疵ものとして捨てられる運命にある。

使うことに触りはない。お椀は正直に泣いてしまった。泣かれちゃ弱い。ということでそのお椀は今も家にあり、今年の正月の雑煮もこれで祝った。お椀はもう泣かなくなっている。

***

こんなところです…感動、しないですよね。それはひとえに私の文がマズイから。日々使う「もの」に何となく魂を感じている人なら、絶対に泣ける珠玉の2ページのはずである。

物持ちの良さに関しては、私は年寄りみたいな性格だ。自分のそういう面を初めて感じたのは、中学時代。家庭科の時間だった。

「家庭科室の鍵がなくなってしまいました」と先生がおっしゃった。女生徒たちは生意気ざかり。ことに、当時定年間際だったこの先生、完全にないがしろにされていた。私も先生の聞きづらい話しかたや、ワンパターンなお説教にイライラさせられることが多かった。

「なくなってそんなに困るわけじゃないのよ。でも、ないままじゃ何だかかわいそうなの。どこか暗いところで、『早く私を見つけてちょうだい』って、鍵が泣いてる気がしてならないんです」

途端にみんなが笑った。冷笑。「バッカじゃないの」と傍らの友人が吐き捨てた。同意を求められて、私も笑ってみせた。でも心の中ではグッときていた。暗がりで涙をこぼす鍵のようすが、バッチリ目に浮かんでしまったのである。周りは先生の話にかまわず私語を続けている。やだな、こんなふうに感じてるのは私だけ? と困惑したものだ。もちろん同じような人は他にもいたはずなのだが、妙なところで孤独感をおぼえた、青春の1コマであった。

生活していると、どうしてもものは増える。自分で家の中を整えるようになり、片づかないと仕方ないので、"捨てるときには捨てる"を心がけるようにはなった。けれど、いちいち胸にこたえる。造花などきれいなものは、新聞紙にくるんで見ないようにする。人からもらったメモ書きや手紙の類は「ごめんなさい」と声に出さないと後味が悪い。着られなくなった服は、可燃不燃の関係上ボタン金具を外すのだが、ハサミを使う時点で思い出がよみがえって涙が出る。デパートの紙袋でさえ、買い物をした日の記憶に戸惑ってしまう。

これはまだ当分捨てる予定はないが、車をどこかに駐めたとする。用事を済ませて戻ってくると、よっぽどのことがない限り車はまだそこにあるわけだが、「おお、待ってる。可愛いヤツよ」と思う。バンパーを擦った日には「すまなかった」と撫でる。ヘッドライトとナンバープレートとで構成される車の顔が、日によって泣いたり笑ったりしているように見えるのだ。

建築物さえ例外ではない。私の実家は、私が高校生の時に建て替えをした。古い家を取り壊す日には、わざわざ出かける予定を入れて見なかった。思い出がつまった家。もう影も形もないのに、壊したのだと考えるだけで、今でも泣けてくる。

幼い私のそばで、しょっちゅうものに話しかけていた。そんな親のおかげで、私はミカンを可愛がったり、たぬきのかたちのお饅頭に泣き出す変な子供に育った。これはちょっと行きすぎとも思うが、そんな教育を受けたら、少なくとも無駄なゴミだけは出さないようになる。

もし私に子供ができたら、"感謝の心"などと抽象的なことを教えるよりもまず、「お豆さん」とか言って育てたい。多少感性が鋭すぎでも、失くなった鍵の不憫さがわかる人間になってほしいし、そういう子にはやがて、感謝の心もちゃんと芽生えると思うのだ。ゴミ問題を抱える我が国のためにも、ものに魂を感じられる子が増えてくれることを、願ってやまない私である。

あのあと、家庭科室の鍵は発見された。黒板に「かぎ、ありがとうございました」と書いてあった先生のやさしい字は、今もはっきりと私の目に焼きついている。

2002.12.13

 
沢木まひろ

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更新:2008.11.20
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