かっとびモデルの私生活 by REY

かっとびモデルの私生活
「モデルになってみたい」そんな思いを抱く女性は多いハズ。REYもそんな一人。甘い考えで憧れの職業にチャレンジ。しかし『こんなはずでは・・・』モデルになるまでのREYの険しく過酷な道のりと私生活。

キーワード:モデル,スカウト,公募,ファッション,オーディション,メイク,ヘアー,スタジオ

新着コラム

51 宝物(最終回)
50 最後の写真
49 若さと体型
48 オーディション結果
47 トホホなオーディション
46 雑誌掲載
45 夢と現実
44 初男性ファッション誌
43 ムービーな私
42 オーディションの嵐
41 復活
40 仕事復帰はTV出演
39 プチ静養
38 ストレス
37 食生活のツケ
36 POWER
35 今の私
34 感謝の気持ち
33 現役モデルとして
32 更新
31 新しい恋愛
30 事務所の更新日
29 初めてのミセス誌
28 引退の兆し
27 目標の実現
26 穴があったら入りたい
25 フィッティングモデル
24 様々なオーディション
23 理想の体型
22 プロフィール
21 イメージチェンジ
20 初めてのポスター
19 苦労の引越し
18 「カバーガール」
17 出会い
16 オペの日
15 入院
14 挫折の帰省
13 突然の災い
12 事務所の移籍
11 モデルの恋愛事情
10 現地へ訪問
9 going my way
8 劣等感
7 ポージング
6 「ホウレンソウ」
5 早速の吉報
4 初めの一歩
3 決心
2 早速のオーディション依頼
1 写真の不思議
0 プレリリース

REY自己紹介
発行部数
あなたもライターになれる

第14回

挫折の帰省


倒れてから、家に閉じこもりっぱなしの私は、毎日、最低限の食材を買いに出かけ、時間があれば、例の親しい友人の家に泊まりに行く、といった生活を送っていた。

不安で、どうしても1人で居ることが出来なくなったのである。

そしてとうとう持病の「心臓発作」が、頻繁に起こるようになってきていた。

その発作とは、正常の成人であれば、1分毎/60〜70回打つ脈拍が、私の発作時には、最高で220回を数える。発作が起こる度合いが、1年に数回から始まり、数ヶ月に数回、週に数回、1日に数回・・・という具合に、発作の回数が目に見えて増加した。

「普通に生活する」ことが困難になっていた。

ある日、車の運転中にその「発作」がやってきた。よし、今だ!と思い、その足で病院へ向かった。医者に、「原因不明」と言われてきた訳は、発作時の心電図が取れていない事が1番に、原因していたのだ。

病院へ着き、図々しくも、救急車が駐車するスペースに自分の車を止め、病院内に急いで入り、今迄やったことがなかった行動、沢山、診察を待つ患者の中をすり抜け、「診察室」と書かれた部屋へ直行した。

「今、心臓発作が起こってマス。大至急、心電図をとってください!」心臓喘息の、荒い声でそう言うのが精一杯だった。・・・が、初めて行った病院。訳も分からない、その看護婦は手際が悪く、最善を果たしてくれてだろうが、心電図の用意をしている間に、発作は止まってしまった・・・

のちに医者の診療を受け、今迄何度説明してきただろう、同じ言葉でこの心臓発作のことについて説明をした。症状をテープに録音して再生したい、と何度思ったことか・・・だが、そこの病院の医者は、とても良い先生だった。

「何時でも構わないから、発作が起こったら、すぐに病院に来てね。それが例え夜中の3時であってもね。あ、来る時は自分で運転しないでね。」私は心底、その言葉にホッとした。今迄、そんなことを言ってくれる医者はいなかった。この同じ病気を持つ人々は、その発作の凄さに家族も驚き、殆どが救急車で運ばれて来る、という。

発作に慣れていたのか、神経がズ太いのか私は発作が起こる度、「あ、また来たよぉー・・」という感じでブルーになっていた程度であった。しかも、周囲に異常に心配されるのが嫌で、何食わぬ顔で通常に働いていた事もあったほどだ。よほど辛い時は、トイレにこもり、発作が止まるのを待っていたくらい。

そして、それから数日が過ぎた。

私は、口内の状況を診てもらう為の病院へ行き、頻度の激しくなった発作に苦しみ、契約した新しい事務所への移籍も、ままならない状況で、更には前の彼との別れに後悔をし、最悪の状況の中、非常に落ち込んでいた。

そんな私を見かねて、友人は私を飲みに誘ってくれた。合計7人で、何故かパーティーらしきものをやってくれた。私も、「今日は騒ごう!」なんて、調子良く、苦手なお酒を少し口にした。皆でワイワイ騒いで、嫌なことも忘れられそう・・・そう感じていた数時間後に、やってきたのだ。「心臓発作」が・・・!

友人に、そのことをゼイゼイした口調で、「来た・・」とだけ言った。胸に手を当てて苦しんでいる私の姿を見て、友人はスグに把握してくれた。以前、「夜中でも構わない」と言ってくれた、あの病院に車で連れて行ってもらった。緊急口のベルを鳴らし、訳も言わず、当直の医者に、「心電図・・・とってください・・・大至急!!!」と、まるで自分が指揮をとるかのように、お願いをし、心電図の準備を待った。

・・・そして、とうとう、取れたのである・・!「発作時の心電図」が・・・!これで、私が10年抱えてきた病名が分かるんだ!

発作を止めるべく、点滴も初めて使った。すぐに発作が止まり、楽になった。

私は翌日、その病院の担当医に会いに行った。原因の病名は、「心電図」にて、既に分かっていたようだった。そして、その病気の専門治療をしている、某大学病院への紹介状を貰った。

「ご両親のどちらかに、付き添ってもらってください」。そう言われた。ここまで来たら、仕方ない。親に連絡しなければ・・・と思い、父と一緒に大学病院を訪れた。

小1時間程待ち、名前を呼ばれ、父と並んで病気の説明を聞いた。どうやら、“先天性”の病気らしいことが分かった。そして、「オペ」が必要だということを聞き、自分の耳を疑ってしまった。あまり、ビビリではない私も、小さく手が震えた事を記憶している。

しかし、急遽の「オペ」が必要ではない程度の病気だったので、その頃満室となっていた病院の「ベッド待ち」を予約して、帰って来た。帰ってすぐに、「命の恩人」とも言える、病院へと運んでくれた友人に電話をし、状況を説明した。彼女は、あっけらかんと、「治る可能性があるなら受けてみなよ!」。私は、敢えて病気の事を話さない家族よりも、彼女に背中をポンと押された。

そして、「ベッド待ち」までの、約2ヶ月の間に、1人暮らしの部屋を撤去し、実家で安静をとらざるを得ない状況になったのである。親は、今後私がどうなっていくのかが、1番心配であったのだろう。

引越しは、心身共に疲れた私の代わりに、親が手伝ってくれた。

移籍予定だった事務所に、早速連絡を入れ、社長に状況説明をした。

私が心配だったこと・・・それは、「入所」を断られるのではないか、という事だった。モデルは、「体力が命」とも言える。ハードなレッスンやスケジュールをこなせるだけの身体を持っていない事を理由に断られるのではないかと・・・。

私は必死で説明をし、「オペが成功すれば、全く普通の人と変わらない体になれるんです!いつとはハッキリ言えませんが、入所を待って頂けないでしょうか?」

社長からかえってきた答えは、「身体が資本だよ。自分を大切にしてあげて。こちらは待っているから、早く良くして来てください。何か不安なことがあったら、いつでも連絡をください。お大事にしてください。」

嬉しかった。安心した。

だが、実家で過ごす日々は、結構精神的に辛かった。父親は「モデル」の仕事を反対していたから、その無理がたたって、こういう状況に至ったのではないかと、思っているように感じていた。

逆に、「早くオペを済ませて、また1人暮らしをしよう」と、考えていた。私もしぶとい。早く、1人になりたいと考えていた。

入院までの「ベッド待ち」の日々は、私が1人、部屋でボーっと過ごす時間より辛かった。親からの、暗黙の圧がかかっていたからだった。当然、親として心配するからこそ、なのだろうが、辛かった。

発作さえ起きなければ、こんな形で親の力を借りて、帰省する事は無かっただろう・・・。

物凄い、「挫折感」を感じていた。

2002.02.23

REY


スポンサード リンク


 

たまごや

声優を目指す少女マキ


知って得する労働法

週刊マナー美人

常識ぽてち

女性のためのクルマ読本

週刊節税美人

四柱推命による人生相談

お店で買うにはちと恥ずかしい


創刊:2001.11.17
訪問者数:
更新:2008.11.20
デジタルたまごやトップ