[142]華僑のDNA

2004年10月 1日号の「変わりゆく華人社会」に登場した私の10年来の友人、ジャカルタ在住の華人男性がいよいよ本格的にニュージーランドへ移住します。彼は中国系インドネシア人の 3世か 4世で、両親は早くから弟と妹とともに旧宗主国であるオランダへ移住しました。彼だけインドネシアに残り祖母に育てられたということですが、深いいきさつは知りません。本人が自ら口を開かない限り聞き出さないというのが私の性格だからです。父親は 5月に亡くなったそうですが、親兄弟とも頻繁に行き来をしており、仲が悪そうにも思えません。おそらくインドネシアの政策と関係があるのではないでしょうか。
彼は1950年代なかばの生まれですが、子どもの頃華人が中国の名前を持つことを禁止する政策が出され、インドネシア風の名前への改名を余儀なくされました。他の東南アジアの国では姓で華人と判別ができるのにインドネシアではまったくお手上げです。ニュージーランドでは中国名に戻そうか、インドネシア人では評判が良くないから、と本人は笑っていますが、この辺の感覚は日本人である私には完全に謎です。
また、インドネシアでは華人が中国語を話したり、中華風の文化を継承するのを最近まで禁止してきましたので、彼は中国語も話せません。時々、中国に出張しては「中国人なのになんで一言も話せないんだろう」とさびしくぼやいています。「日本人だって海外で生まれ育った人で日本語話せない人はたくさんいるわ。英語とインドネシア語ができるなら十分よ。」と私は励ましてあげるのですが。
オランダ統治下から商業や金融を担ってきた華人たちは圧倒的な富を支配していますが、政治的な差別も多く、ひとたび暴動が起きれば華人たちが格好の餌食となります。先般の中国における反日運動の事を説明してあげたところ、「インドネシアの華人排斥運動と同じだな。ある日突然起こり、また何事もなかったかのように収まる。巻き込まれさえしなければ、そんなに神経をとがらせることもないよ。」とこれは呑気な発言にも聞こえますが、1998年のジャカルタ暴動では自宅近辺でも銃声が聞こえ、No.2のポストを預かっていた財閥系工場では自警団を率いて職場の安全の確保をした経験の持ち主だけに重みがあります。
安全面のみならず、気候の悪さも華人たちがインドネシアを引き上げてしまう原因のひとつ。赤道直下で暑いのはもちろんですが、雨季になるとジャカルタ名物の洪水がおきます。一度も浸水したことがなかった彼のご自慢の高級住宅街も2002年の大洪水では日本から輸入した愛車が自宅もろとも大浸水。彼のビジネスパートナーの女性から連絡があり「ねえ、何とかなぐさめの言葉をかけてあげて。彼はあなたが言うことは聞くから。」彼は私のお見舞いの言葉に強気の応答をしていましたが、この大浸水と育ての親である祖母の死がニュージーランドへの移住を決心させたと私は感じています。
もうひとりのジャカルタ郊外在の華人男性の知人は世界有数の蘭農園のオーナーですが、大学を卒業すると父親にいきなり台湾に修行に出されたそうです。言葉も習慣も知らないままビジネスを始めさせられたので、その経験がどこの国に行ってもやっていけるという自信となって生きているのだとか。ちなみに彼の奥さんは台湾の方、お姉さんはバリ島でホテルを経営していますがシンガポール人と結婚しているという国際色豊かな一家です。
フィリピン人の知人の華人一家でも父親の大のお気に入りの長女が香港へやはりビジネスの修行に出され、しばらくホームシックで毎日泣いていたそうです。美人で利発な彼女は今はフィリピンに戻り、家業の経営全般を管理するかたわら大学でコンピューターも教えています。
こうした彼らの行動力とバイタリティはやはり華僑の DNAから来るものなのでしょう。私の家は祖父の代から貿易一家です。特に戦前はアジアで手広くビジネスをしていたことから、どんな国にひとりで行っても初めて行った気がしないし、不安に思ったこともありません。これも先祖から伝えられた DNAのおかげかも知れません。
河口容子

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