[340]パンデミックの危機

この原稿を書いている 5月10日時点での新型インフルエンザの WHOの警戒レベルは 5です。とうとう日本でも水際対策で感染者が発見されました。
 2003年のSARSの時成田の検疫体制はどうだったかと言うとサーモグラフィーは置いてあるものの誰も見ていない、という状況でした。私は東南アジアへ国際機関の仕事で出かけたのですが、シンガポールでもマニラでもきちんと熱をはかっていました。マニラでは検査の待ち時間の間旅客を少しでもリラックスさせようとディキシーランド・ジャズバンドが傍で演奏をし続けてくれていました。ブルネイでは王様の一言でSARS発生国への渡航および経由すら禁止となり、直行便のない日本へはSARS発生国を経由せざるを得ず会議にも来ることができないと政府機関の職員がぼやいていました。
 友人の商社マンたちなど海外出張の多い人たちから一番危ないのは「成田」というのがいつしか定説になっていたほどです。日本人の香港や中国への渡航の見合わせは指示されても香港人や中国人は入国して来ます。その実、私も香港人と商談を行い、お土産に月餅をたくさんいただきました。さすがに他人におすそわけしても困るだろうと思い毎日2-3個ずつ食べて続けて太ってしまったのが私のSARS二次災害でした。
 日本ではSARSもその後の鳥インフルエンザにしても感染者はいないことになっていますが、私の周辺では医療関係者も含め「それはいるでしょう。」というのが大方の見方です。自宅に帰ってから発症した場合、本人が懸念を話さない限り一般の病院やクリニックではSARSや鳥インフルエンザと診断されることはまずないからです。
 ベトナムでひどい下痢と嘔吐に見舞われたことがあります。ちょうと仕事が終わってからで良かったものの17時間ほとんど水も飲めず首や手足に水を含ませたタオルをあて脱水を防ぎながら、ハノイからホーチミン乗り換えで成田にへろへろと一人でたどり着いた経験があります。当時母が病気で風邪のウイルスさえ入れると失明するかも知れないという状態でしたので、感染症だったら隔離してもらわなければと成田の検疫に行ったのですが、「水か油が合わなかっただけ。あとはストレス。」とせせら笑われ、無情に追い返されました。こんな状態でもリムジン・バスに乗り、そこから電車、駅から徒歩で荷物を引きずりながら帰った私のメンタルの強さには本人もあきれるばかりです。
 私がよく出かける東南アジア諸国は帰国時成田の検疫での健康状態に関する質問状(イエロー・カード)の対象国です。インドネシアではデング熱が発生していたこともあるし、ベトナムでは狂犬病も注意しなければなりません。SARS禍以来、海外出張時は医療用のマスクを持っていきますし、機内で眠る際は必ず着用しています。喉が乾燥するのも防げます。また、薄手の軍手も素手で触れない場合にと持って行きます。殺菌スプレーや消毒薬、抗菌目薬なども必携アイテムです。また、持っていった物はすべて丸洗いか殺菌スプレーで消毒して天日干し、お土産などは一番外側のラッピングは即廃棄、というのを帰ってすぐやります。夜中に到着の場合は翌朝までテラスに放置して家の中には持ち込みません。
 20数年お世話になっている内科の先生が理事長を務めておられる高齢者専門の病院がありますが、入院患者は90歳台がほとんどにもかかわらず、この冬インフルエンザ患者はゼロでした。患者にワクチン接種を義務づけたのと、お見舞客全員にうがいと手洗いを強制した効果があがったようです。この「全員徹底」が防疫にはまず必要だと改めて知らされた良い例です。
河口容子
【関連記事】
[34]ウェブ・カンファレンス・システム
[31]SARSが長期化すれば